3人のキーパーソンから読み解く「壬申の乱」前夜
古代史上最大の内乱戦争! 大海人皇子VS大友皇子 「壬申の乱」の通説を覆す! 第2回
天武天皇の飽くなき野望
しかし、いよいよ天智に死期が迫り、再起が絶望となった時点で、天武は持病を理由にしてこれまでの協力・奉仕を一切断わり、天智の快復を期すためと称して出家したいと申し出た。天智は病床でこれを許可し、僧侶となった天武は吉野に隠遁することになる。これが天智10年10月のことで、壬申の乱が始まるのはこれより8ヵ月後のことであった。
『日本書紀』巻第28(天武天皇紀上、「壬申紀」と呼ばれる)は、天武が実際とは異なり次期天皇と目されていたとしたうえで、彼を目の仇にしていた蘇我赤兄や中臣金ら、悪辣で老獪な重臣たちがその殺害を企てていたので、それから身を守るために天武は即位辞退を申し出、出家して隠遁の道をえらんだと描いている。そして、天智はこの陰謀にまったく関知していなかったとされているのである。「壬申紀」において天武の真の敵は天智の重臣たちだったことになっている。
要するに「壬申紀」は、天智・天武の兄弟間に何ら対立や確執がなかったとしているのだが、これはどう考えても疑わしい。実際には天武に皇位継承への飽くなき野望があり、だからこそ天智の崩御後に未曾有の内乱が発生したのであって、天武のこのような野心を隠蔽し、さらにその行動を正当化するために、このような筋書きが考え出されたといわねばならない。以上のような「壬申紀」に見られる不自然な設定や描写は、本来は即位資格に乏しい天武が天智晩年になってにわかに翻意し、みずからの皇位継承に向かい大きく一歩を踏み出したことを物語って余りあるだろう。
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